2013年10月2日水曜日

20  ダラリ新党の人




「はじめまして、リルちゃん、僕はダラリ新党の竹内です!」
「はあ?」
「今度、東の丘の選挙に立候補します。ダラリ新党の竹内ヒトシ、竹内ヒトシをよろしくおねがいいたします!」
「そんなこと言われても、私、子供だから選挙権とかないし」
「では、ダラリ新党の竹内ヒトシを、パパとママによろしくお伝え下さい!」
「いや、うちはパパとかママとかいないし」
 これにはさすがの竹内氏も困った表情を浮かべた。
「君は幼いのに、一人で暮らしているの?」
「いいえ。風の主さんと二人で」
「なるほど。では、ぜひ風の主さん、ぜひ、ダラリ新党の竹内ヒトシご投票をお願いしたい!」
「あの、竹内さん」
「はい?」
「ひとつ、感想を言ってもいいですか?」
「感想?」
「お忙しいのはわかるんだけど、いきなりお願いばかりは、よくないと思うよ。むしろいやな気分になっちゃうから」
「なるほど。うん、それはごもっとも」
「まず、今日のお昼はジャガイモスパゲティなので、それをいっしょに食べましょう。話はそれから」
「いや、ありがたいお誘いではありますが……」
「なに? 竹内さん、アンチジャガイモスパゲティ派?」
「いや、自分は今日は経済界の人と昼食の先約がありまして」
「あらあら……」
「あ、おこらせてしまいしまたか?」
 リルは小さく首を横に振った。
「ちがうの。おこってない。むしろ、悲しい。でも、先約があるならしかたがないよね」
「すみません、ほんとうに。次の機会があったら、必ず、このダラリ新党の竹内ヒトシが責任を持って……」
 とまた声に力が入りかけた竹内さんを手でさえぎり、リルは言った。
「そうじゃなくて、でも、なんだろう……なんだか、ふと、なつかしい気持ちになって。すごくなつかしい。なぜかなー」


「そして、去ってしまったんだね」
 と風の主さんはゆるゆるとした声で言った。
「本当に忙しそうだったの。短い期間に、たくさんの人に会わなきゃいけないんだから、しかたがないわよね」
「忙しい、か」
「私ね、今はこうして風の丘にいるけれど、昔はああいう小忙しいところにも、いたような気がするんだ」
「小忙しい?」
「だって、ほら、ビラを置いていったけど、みてよ。『ダラリ新党』って書いてあるの。きっとね、もともとはあの人も、ダラリとやっていこうと考えていたんだと思うんだ。あせらず、ゆっくりとね。でも、始まってしまったら、結局、あんなふうになっちゃうの」
「だったら、どうしたらいいのかな。始まらない方がよかった?」
「始まらないでも、ちゃんとやっていけるのだったら、その方がよかったと、私は思う」
「おお、ずいぶん難しい言い回しだね」
「難しくは、したくない。忙しくも、したくない。……でも、そうなっちゃう」
「ははは。とりあえず、お茶でも、しようか」
「だよねー」
「今日はね、サンダーティでヒーローブレイクだ!」
 風の主の楽しそうな言い方に、リルは一歩引いた。
「風の主さん、あなたはまだ、そ、そこですか?」
「進歩がないって言っちゃダメだよ。これこそ、男子永遠のこだわりだから」
「いやいや、普通、言うよ。『進歩がない』って」
「サンダーパンチ!」
「ビリッとしないで!」
「ごめん」
「ここでカミナリみたいなことやられても困る」
「わるいわるい」
「てか、ティはきらしてた」
「はあ?」
「しばらくコーヒーにしようと思ってたんだ、私」
 
 ふたりはコーヒーを淹れて、サンダーコーヒーブレイクとした。
 コーヒーのビターな香りが、風の丘にただよう。すると窓辺にトンボが飛んできて止まり、首をカクカクした。

 いい匂い・いい匂い・そにや・まけら・どぅ・ほほ・どぅ・ほほ
 
 それを見て、リルは大きくうなずいた。
「トンボさん、君に一票!」




19 下着博士



「こんにちは、お嬢ちゃん」
「こんにちは、おじさん」
「いやいや、おじさんはやめてくれ。私は、こう見えても、下着博士なのだよ」
「こちらこそ、お嬢ちゃんはやめてよ。私はこう見えても、リルなの」
「じゃあ、リルちゃん、せっかく知り合ったのだから、何か望みがあるかな?」
「来た人には、いろいろお話を聞かせてもらっています。それが望み」
「うむうむ。しかし、下着の話でいいのかい?」


 とりあえず悪い人ではないようなので、いつも通りに小さめの家に入ってもらって、お茶を用意したリルだったが、『下着の話でいいのか』ということについては、答えを出しかねていた。
「あのぉ、もしよかったら、やっぱ、下着以外の話にしません?」
「そういわれても、おじさんは困ってしまうよ。私は下着博士で、それ以外の者ではないからね」
「たとえば、レンコンについては、どうお考えですか?」
「ん? レンコンかい? そういうガラのパンツは、あったような気もするが、どうだろう。豚の鼻なら、よくある。いわゆる豚がら系の一種で、動物がらの中では、わりとポピュラーなのだが」
「じゃあ、深海魚は?」
「それもまた、珍しいガラだね。チョウチンアンコウの紫パンツなら見たことがあるが、シーラカンスとか、ありそうだけれど、私は見たことがないね」
「下着博士さまは、バンツのガラに詳しいの?」
「そういうわけでもないけれど、なにせ、たくさん見てきているのでね」
「じゃあ、世界のいろんなことも見てきた?」
 下着博士は目を大きく開いてから、苦笑をもらした。
「まあ、世界というより、男と女のことは、いろいろ見させられてきたよ。実際、それがなければ、下着は安もので十分なわけだからね」
「男と女のこと、というと、たとえば?」
「そんな話、ここでしていいの?」
「大丈夫。今日は風の主さん、いないし」
「主さんはどこに行ったの?」
「ヒーローについて考える、って、なにかの講習に行ったみたい」
「ふ〜ん、いろんなこと、するんだね」
「ちょっとした気まぐれよ。どうせすぐに戻ってくるし」
「いや、それにしても、ヒーローになるための講習ですか。うむうむ、私も行こうかな」
「やめた方がいいと思いますよ。どうせ広告だけいいこと言って、なんにもならないのが見え見えだし」
「だって、下着博士でいつづけるよりは、いいと思わないかね? つまり、私がヒーローになろう、と言うんじゃないわけだ。私はあくまで、ヒーローになるための講師を目指して、勉強するわけです」
「え、講師?」
「そう。ヒーローそのものになるのは無理でも、ヒーローについて教える講師なら、なれる可能性があると思わないかい?」
「むむ、なるほど」
「講師よりは、博士の方がえらい人みたいな呼び名ですが、問題はその中身ですからな。下着とヒーローでは、ヒーローの方がはるかによいですからな」
「おじさんは、下着博士でなくなってもいいの?」
 するとおじさんは大きく目を見開いてから、あきらめたように首を振った。
「いいえ、そう、おっしゃるとおりです。私は下着博士。ちょっと、夢を見ただけです」
「下着博士って、大変なの?」
「まあ、どんな仕事だって、苦労や誤解はつきものですからね。しかたがありません。私は、これでやっていきますよ」
「うん、がんばってね。私、応援してるから」
「ありがとう。なんだか前向きな気分になったきた。お礼に、一つ、ブラジャーをあげようか? 白くてかわいい花のワンポイントアクセント付きのを」
「いや、いいっす。そういうのは、そのうち必要になったら、自分で手に入れるんで」
「……ですね。すみません。自分は、残念なことに、こんなものしか持っていない男で……」
 と落胆したおじさんを見て、リルはあわてた。
「うそうそ。もらいますよー。かわいいなー。私、このブラ、大好きになっちゃったー、ありがとー、おじさん」
 すると下着博士のおじさんは、満面の笑みを浮かべた。
「リルちゃん、そんなに気に入ってくれたのなら、今、してみる?」
「いやいや、それは、ちょっと」
「ですね。いつか、大きくなったら、して下さい」

 
「今日ね、下着のおじさんが来たよ」
 と、リルは戻ってきた風の主に言った。
「下着姿のおじさん?」
「ううん、ちがうの。ご本人はいたって真面目なスーツ姿」
「スーツ姿?」
「そう。ただ、仕事が下着博士なんだって」
「ヘンな人かい?」
「ヘンだけど、でも、優しかった」
「お友達になれたかい?」
「それはわからないけど、でも、プレゼント、もらっちゃった」
「なに?」
「ないしょ」
「教えてくれないの?」
「うん。いつか風の主さんが大きくなったら、教えてあげるね」
「私は、もうこれ以上は大きくならないと思うよ」
「じゃあ、むりね」
「今日のリルは、イジワル?」
「ちがうわ。これは女子話題、ということです」
「やれやれ」
 リルは笑みを浮かべて、軽やかにスキップしてみた。

 無理してスキップはしてみたけれど、心の中では、風の主さんと同じように「やれやれ」とつぶやいていた。
 そして、リルにも少し、悩める下着博士の気持ちがわかったような気がしたのだった。



18 風の丘のヒーロー



「リルは女の子だからピンとこないかもしれないけれど、男子にはヒーロー願望というものがあるんだよ」
 と風の主さんはいつになく真面目に説明した。
「ヒーローになりたいの?」
「まあ、そうだね。そしてね、それはとても大変なことだと思うんだ。人には言えない苦労や、自分が本当はヒーローであることを隠して日常生活を送らなくちゃいけなかったりもするだろう。本当は自慢したいんだけど、それはばれてはいけないことで、絶対に秘密にしておかなくてはならないから、トイレとか、電話ボックスとか、目立たないところに入って、変身するんだ」
「なんか、こう、ゆがんだ願望ね」
「そうなんだよ。私も、幼い頃は、ヒーローなんて、ただの目立ちたがり屋だと思ってた。地球を守るために、べつの星からやってきた、とか。そんなこと、タダの人気目当てと言われてもしかたがないよね。でも、あるとき、気がついたんだよ。ヒーローは、自分がヒーローであることを、親や、友達に、隠さなくてはならないって。そしたら急に、ゾクゾクするほどかっこよく思えて」
「隠さなきゃいけないことが?」
「本当は、地球を守っているのは自分なのに、日常生活では、普通にしてるんだ。そのギャップが、いいと思わない?」
「そんなギャップがあると、いろいろめんどくさそう。ていうか、見つかったらどうするの。お母さんが『あ、あんた、なに変身してるの?』って」
「しかたがないから、また嘘をつくだろうね。『いや、ただの遊びだよ、最近、そういうのが流行ってるんだ』とか言って、本当のことを隠す。親に嘘をつかなくてはならない、その罪を引き受ける運命が、これまた、無性にかっこいい」
「それって、ヒーローっていうより、テストの結果が悪くてかくしているときみたいじゃないの?」
「いいのだ。そういう誤解も、黙って引き受ける。それがヒーローの宿命なのだから」
「で、そんな男の子が、今はここで、風の主さんにおなりになった、と」
「うん。私にも、いろいろあってね」
「まったく、ヒーローなんて、夢のまた夢ね」
「そうでもないと思うよ。いい風を吹かせられれば、戦わなくても人の心を支配することが出来るから。『今日は、いい風だなぁ』って」
「ていうか、はっきり言って、『強い風』とか『暴力的な風』とか、苦手でしょ?」
「うん、自分にはむいてない」
「練習する?」
「いや、いいよ。昔、やったから。そういうことは」
「もう一度、リベンジしようよ? ね? 私を吹き飛ばしてみて」
「おいおい、今日のリルは、絡むね」
「だって、せっかくなんだから、なれるものならヒーローになってもらいたいし」
「今の言葉、なんだか、女の子らしく聞こえた」
「え?」
「ヒーローを裏で支えるのは、女の子の優しさ、みたいな」
「そ、そうかしら。ふふふ」
 と、少し大人ぶってみせるリルだった。
 似合っているかどうかは、100%、べつにして。



17. サンダーマン



「よい子のみんな、僕は平和を守るサンダーマンだ」

 リルは空を仰いで「ねえー、またヘンな人来ちゃったよー」と言った。
「知ってるよ、コスプレって言うんだよね」
「またまた。風の主さんは無理して今風の言葉を使って。ちがいますよね、サンダーマン」

「そうだよ、僕はサンダーマンだ。コスプレなんかじゃないからね。本物の平和の使者なのさ」

「でも、本物のサンダーマンだったら、お茶は飲めるのかなぁ?」
「リルから質問してみればいいんじゃない?」
「あのー、サンダーマンは、お茶、飲めますか?」

「水分補給はひかえめにしているんだ。トイレに行くときに困るからね」

「……え、えっとぉ、サンダーマンは、トイレに行くの?」
「それはいくだろうよ。リルも行くだろ?」
「私は行くけど、平和を守るサンダーマンは、トイレには行かないかと思ってた」

「よい子のみんな、サンダーマンだってトイレに行くけど、それでゲンメツしてもらったら困るぞ。僕の強烈なサンダー攻撃は本物だからな」

「ねえねえ、風の主さん、サンダー攻撃ってなんだろう?」
「ビリビリする感じだと思うな」
「それはすごい。バシッと光って、ビリビリって、悪をやっつけてしまうんだね」

「見てごらん、これが僕のサンダーパンチだ。えい。あれ? 出ないぞ」

「あのぉ、サンダーさん、ここではだれも特殊能力を使えないんです。そういう丘なんです」
 と風の主さんが残念そうに説明した。

「そ、それは困った。悪と戦えないではないか」

「戦う必要もないんですよ、ここでは」
「そうそう、風の主さんの言うとおり。戦いより、お茶でもいかがですか、サンダーさん」

「いや、そういうことなら、お茶は遠慮するとして、少しトイレを使わせてもらっていいかな」

「どうぞどうぞ」



「で、結局サンダーさんは、トイレを借りただけで、すぐさま去ってしまった、と」
「平和を守るサンダーマンというのは、忙しそうだね」
 まったりと風の主が言った。
「風の主さんも、少しみならったら?」
「いやぁ、私はのんびりするのが仕事だから。これはこれで、平和を守っている自覚、ないわけじゃないんだよ」
「おー、すごい。平和を守る風の主さま。と、いいつつ、なにもしてないけど」
「うん、まったりしているだけだけど」
「本当にそれだけよね。はっきり言って、あまり健康によくないと思うわ」
「わかってる。まあ、お茶でもしようか」
「二人で?」
「もちろんさ、平和を守るサンダーマンの活躍を祈って、サンダーティだ」
「サンダーカップに、サンダーティを入れて、合い言葉は『サンダーいたたきます』みたいな?」
「その言葉を聞いたら、サンダーさんも、きっと心から喜んでくださる。僕たちの応援する心こそが、彼の純粋エネルギーへと変換されるのだ!」
 いきおいずく主に、リルは身を引いた。
「いや、それは、どうだか……むしろ、あつくるしいんですけど……」



16. ウーマンホールな人


「私のこと、知っているかしら?」
 赤いドレスのしなやかなお姉さんの旅人が聞いてきた。
「いいえ」
 と、リルは正直に首を横に振った。
「私、ウーマンホール。最近、ここにマンホールの人が来たと聞いて、私も立ち寄ってみようと思ったのよ。よろしく」
「ウーマンホールさんですか? 女だから?」
「私は、女性としての穴の立場を代弁するの。でも、そんなこと、誤解のもとよね。だから、あまり知られていないと思うけれど、ようするに、マンホールの女性的ななにか、よ」
「マンホールさんとは仲良しさんなんですか?」
「彼は、自分がすべてだと思い込んでいるから。私の気持ちなんて、わかる人じゃないわ」
 リルと風の主は「うん、確かにそんな感じだった」と相づちを打った。

「私はね、本当は、いなくていい存在なの。ウーマンホールなんて、誰も言わないし、実用性があるというわけでもない。ただ、ヘンな話だけど、多くの人が心の底で一番気にするのが、じつはウーマンホールなのよね」
「?」
「いいの、これは、オトナの話。もし、リルちゃんが、将来、ウーマンホールになれるとしたら、どんなウーマンホールになりたいかしら?」
「さあ……」
「きっとあなたなら、暖かく包み込むような、やさしいウーマンホールになれるわね」
「ウーマンホールさん、あなた自身は、どんな感じなんですか?」
 と風の主がふわふわとたずねた。
「私は、そうね……正直、もうあんまり夢をいだくような歳ではないの。少し疲れていると言ってもいいわ。だから、誰かを幸せにするような力はないに等しいわけだけど、かといってウーマンホールとしての自信を失っているというわけでもないの」
「なるほど。なんだか地下のことって、いろいろややこしいんですね」
 と風の主が率直に感想をのべた。
「だって、人々の欲望というものは、地下に流れるものだから。知ってるかしら、それはね、とても臭いの」
「とても臭い、んですか?」
 とリルは首をかしげた。
「そうよ。私はね、あなたにこれだけは言っておきたいわ。とても臭いの。でも、人はそこに流れ着くの……」

「リル、あの女の人、面白かった?」
 とウーマンホールの人が去ってから、風の主が聞いた。
「うん。いろんな人が来るな、っていう意味で」
「『とても臭い』って言ってたね。リルには、わかる?」
「わかんない。ていうか、あの人、語るだけかたって、お茶も飲んでいかなかったよ」
「臭い話なんかしないで、お茶を飲んでいけばよかったのに」
「そうだよね〜」



2013年8月28日水曜日

15. マンホールな人



「僕のこと、知っているかい?」
 とのっぽのお兄さんの旅人が聞いてきた。
「いいえ」
 とリルは正直に首を横に振った。
「僕は、こう見えて、マンホールな人なんだ。どういうことかというとね、道路にマンホールってのがあるだろ。つまり、あれなわけさ」
 風の主は少し驚いた声で「それにしてはやせたかたですね」と言った。
「まあ、僕は、仕事としてマンホールをやっているわけじゃないから、そこのところは少し普通と違うかもしれないな」
 と彼は前髪を指先で横に流した。

「僕のことは、よく勘違いされてしまうのだけど、フタと思って話をしてくる人がいるよね。フタは『マンホールのフタ』であって、僕はその穴の方なのさ」
「人が入るから、マンホール?」
「リルちゃん、頭いいね。そうなんだ。人が入るからマンホール。ただ、僕はそのことを取りたてて自慢したいわけでもないんだ。だって、人が入ってくるっていったって、そんなことはよくあることだしね」
「ねえねえ、せっかくいらしたのだから、何か面白い話、聞かせてくれません?」
「期待されても、困るなぁ。だって、地面の下というのは、とても正直な世界だからね。上の世界のように、ウソや、偽善がはびこることはない。もちろん、上の世界のエゴは、こちらにも影響をもたらすよ。でも、そんなことは、僕たちには、どうでもいいことなのさ」
「でも、面白い話がないんじゃあ、つまんないな」
「そうだね、まあ、そこは同意するよ」
「同意するんかいー!」
「ていうか、正直なことっていうのは、面白くはない、って、そんなかんじかな」
「じゃあ、正直じゃないことが、面白いってこと?」
「そう、じゃない?」
「さあ。風の主さんはどう思う?」
「私はおもに空にいるけど、これはこれで面白いことも多いんだ」
 するとマンホールの人は苦笑した。
「空は、自由だからね。僕たちとは、違うのさ」
「じゃあ、マンホールの人も自己改革が必要なのよ」
 とリルが提案した。
「はあ?」
「たとえば、地下にいるネズミさんとキスして、チューって言うの」
 マンホールの人は笑って「いやはや、そんなことは考えたこともなかったな」と言った。
「ゴキブリさんとストレッチしたら、間接がゴキゴキって鳴るの」
「リルちゃん、そんなのはタダの言葉の遊びじゃないか」
「だとしても、遊びって大切よ。ていうか、私に言わせれば、すべては遊びから始まるの」
「ふふふ。遊びか。それもいいかもね」と彼は笑みを浮かべて、前髪を丘の風になびかせて、歩き去った。

 マンホールの人がいなくなった丘には、空を巡る風が、いつも通り吹いていた。
 リルは、風の主に質問した。
「ねえ、風の主さんにとって、空の面白さ、ってなに?」
「リルにとっての、風の丘の面白さ、ってなに?」
 リルは腕を組んでむくれた。
「反撃してくるかな」
「だって、こうやって反撃するのが、面白さだから」
「なんじゃ、そりゃー」


2013年8月26日月曜日

14. 門番の人



 屈強な男が現れた。
「ども」
 その男らしい挨拶を、リルもまねて「ども」と片手を上げた。
「私は門番をしておる」
「門番の人、なのですか?」
「うむ。門の出入りをつかさどる仕事だ」
「それはそれは、おつかれさまでござる。で、今日は、お休み?」
「うむ。まあ、長い仕事に一区切りついたので、少し息抜きにきた」
「それはわざわざありがとうございます。お茶、する?」
「いいな」
「でも、うちでお茶をするには、あなたはちょっと大きすぎね。外でもいい?」
「もちろんだ」

 家にある最大サイズのスーブ皿にお茶をたっぷりそそいで、「どうぞ」とリルは大男に渡した。
「ねね、門番の人って、普段、お茶とかどうするの?」
「お茶?」
「ノド乾いたときとか、食事とか、トイレとか」
「目の届く範囲ですます」
「え?」
「こう、見えるところから、目を離さないようにして」
 と大男は目を細めて遠くを観察する仕草をした。
「じゃあ、睡眠は?」
「門のまん中で寝る。そうすれば誰かが通ろうとすればすぐにわかる」
「へー、やっぱ、大変なお仕事ね」
「ねえ、門番の人」と風の主。「さきほど、長い仕事に一区切りついた、とおっしゃっていましたね?」
「ああ、そのことを説明しよう。なかなか面白い話なのだ」
「ぜひぜひ」
 とリルが目を輝かせた。

「私の門に、あるとき、一人の若者がやってきた。だから言ってやったのだ。『私は門番だ』と。そして胸をはって、威嚇(いかく)した。若者が困る様子が手に取るようにわかった。彼は何か大きな目的のために旅をしてきたようだが、門を前にして道を閉ざされたわけだ。かわいそうだと思うかい?」
「そうね。悪い人じゃないなら、通してあげたらいいんじゃない?」
「悪い人じゃないことは、私にだって見ただけでわかった。だから、私は否定しなかった。ただ『私は門番だ』と宣言して、待ったのだ。すると若者は、知恵を絞り始めた。この屈強な巨人を、どうやり過ごすのか、とな。彼はいろいろ話しかけてきた。私は職務上、彼と親しくなることは出来ないので、相づちを打つようなことはなく、ただ若者をにらみ、語りたいだけ語らせておいた。彼は困ったようだった。何を話しかけても、私が反応せず、立ち続けていたからだ。でも、私はすでに心に決めていた。この若者が通るなら、そのまま通してやろう、と」
「ええっと、つまり、あなたの言葉の『私は門番だぁ』にびびって、若者は通ろうとしなかったけど、本当は通ってもよかったのね?」
「まあ、そういうことになる。そんなやりとりが、何年も続いた。私はただ『私は門番だ』と宣言して、立ち続けた。若者は知恵を巡らし、私の態度を変えようとし続けた。結局、若者が老い、死の瞬間まで続いた。若者がついに、死ぬまぎわなるとに、私は言ってやった。『では、門を閉めることにする。おまえのために開けておいた門だが、もう通る力はないようだから』と」

「ねえねえ、それっておかしくない?」
 とリルが立ち上がって首をかしげた。
「ん?」
「『私は門番だ』だけじゃなく、最初から『おまえのための門だ、通っていいぞ』って言ってあげればよかったんじゃない?」
「いや、それは言ってはいけないことだ。自分で気がつくのが、門を通る者の正しいあり方だ」
「それは決まっていることなの?」
「まあ、特に決まっているわけでもないが、門というものは、そういうものだからな」
「そーかなー。だって、その門は、その人が通るためにあったんでしょ? だったら、教えてあげればよかったじゃん」
 門番の人は、最初は「クックッ」と、やがて「がはは」と、大声で笑い始めた。
「なるほど。それを言えなかったこと、それが私にとっての『門』だったというわけか。確かに、私は門番だ」

 大きな門番の人が去ると、リルは風の主に聞いた。
「ねえ、一つ聞いていい?」
「なんだい」
「どうして、門って、あるんだろうね」
「ない方がいいと思う?」
「門番の人の仕事がなくなると、あの人は困るかもしれないけど、でも、本当は門なんか、いらないと思わない?」
「まあ、リルには、必要ないかもね」
「あ、それ、バカにしてる? オコチャマには必要ないと?」
 両腕を上げてぷんぷんしているリルに、風の主はおだやかに言った。
「そうでもないさ。ないならない方がいいと、私も思うから」
「でも、実際、あるんだよね」
「そうだよ」
「う〜ん、私には、わからん」



2013年8月25日日曜日

13. 山田さん



 埼玉で主婦をなさっている山田さんという人がいらっしゃった。
「こんにちは、リルちゃん。はじめまして、風の主さん」
「は、はあ……」
 まるですっかり予定されていたかのように現れたおばさんのていねいな挨拶に、リルは少々とまどった。
「話は聞いていましたけど、ここは、本当にいいところですわね。お庭はお花がきれいだし」
「あ、ありがとうございます……」
「あのね、今日はちょっと、お話、させていただこうかなって思って来てしまったの。いきなりごめんなさいね。お邪魔だったかしら?」
 やっとリルはいつもの笑みを浮かべて「そ、そんなことないです、どうぞ」と家に招いた。
「私は埼玉の山田といいます。いつも話が長くなっちゃう方だから、なるべくそういうことがないように気をつけているんだけど、ついつい時間を忘れてお話に夢中になっちゃう悪い癖があって。だから、先に言っておこうと思うの。もし、お邪魔だったら、どうぞ遠慮なくそうおっしゃってね。私もお二人のお邪魔をしないようにしたいの。それは本当にそういう気持ちで、というか決意を秘めて、今日は訪問させてもらっているのですから。ね。なんて、ちょっとおおげさかしら?」
「……」
「……」
 リルと風の主は、戸惑い気味になってしまって。

「私ね、ふと思ったの」
「何を思ったんですか?」
「座ってテレビでも見なさい、って」
「はあ?」
「座ってテレビでも見なさい、とか、座ってテレビでも見ましょうとか、そういえば、私はずっとそんなこと、言い続けてきたな、って」
「立って見た方がいいの?」
 山田さんは微笑んで「ちがうのよ、リルちゃん。立って見るわけじゃないんだけど、とにかく、座ってみましょうって、私はよく言ったの、息子たちに。でね、みんなでテレビの前に座って番組を見ると、安らかな気持ちになるの。お二人は、テレビは?」
「ないです」と風の主が正直に答えた。「うちは、テレビやラジオは、最初からなくて、すみません」
「いえいえ、いいのよ。うちも最近は息子たちが『テレビなんか見ない』って、ゼンゼンいっしょに見てくれないし。ただね、そうなってしまったからかしら、『座ってテレビ見ましょう』と私が言うと、二人の息子がちょっとバカっぽい顔で、それでも私の薦めるとおりテレビの画面を見続ける、そういうことが、人としていいことか悪いことかはわかりません。まあ、あまりほめられたことじゃないかもしれないのだけど、でもね、なんだかすごく、幸せな気分だっなー、って、今さらだけど思ったりするの」
「テレビって、ヒーリング系?」
「あら、リルちゃん、難しい言葉を知っているのね」
「ま、いろんな人と話をするので、言葉だけは、いろいろ」
「テレビは、ときにはそういう番組もないわけじゃないけど、たいがいは有名人が楽しく語り合ったり、役者さんがドラマを演じていたり、そういう番組なの。もちろん、作っている人たちは大変な努力をなさっているのだろうけれど、見る側の私たちとしては、気楽なものよ。コマーシャルも多いし。でも、何となく、みんながね。テレビを、信じているの。画面の中の人たちだけじゃないわ。考えてもみて。世の中には、テレビそのものを作ったり、テレビを売ったり、そういうお金で生活して、つまりテレビとの関わりが人生という方も、いっぱいいらっしゃるはずよ。そういうたくさんの想いが、一度に全部ってことじゃないけど、広く浅く、画面の中につまっているの。音もそう。音楽も。だから私たちも埼玉の片隅で、テレビを見ていると、安心できるのね。不安から逃れられるの」
「なんだかテレビって、すごいね〜」
「でもね、リルちゃん、それは、だいたい、過去の話なの。ごめんね」
「いやいや、べつに、謝らなくても」
「私の人生って、幸せだったと言えるのかしら。リルちゃんはどう思う?」
 リルは首をかしげて「幸せって、なに?」と聞いた。
「幸せとは、『座ってテレビ見ましょう』と私が言うと、二人の息子がちゃんと座ってテレビを見てくれること」
「だったら、私にはわからないよ。だってここには『テレビ』も『息子』も、ないもん」
「そ、そうね。余計なこと、聞いちゃったかしらね、ごめんなさい」
「でも」と風の主がふわふわと包みこむように言った。「何かに一生懸命な人は、誰もが、幸せそうに見えます」
「そう?」
「山田さんは、よいお母さんだったのだと思いますよ」
「うんうん。山田さん」とリルも言葉を添えた。「自信を持って」
「ありがとう、リルちゃん。ここにはテレビがないのに、テレビの話ばっかりしちゃってごめんなさい。勘違いしないでほしいのだけれど、私だって何時間もテレビばっかり見ているのがいいといいたいわけではないのよ。ないならないにこしたことはないのかもしれないけれど、私たちの家族には、それはあるものだったのだから、しかたがないわよね。ありがとうね。私も、自信、もってみるわ。それはそれとして、今度来るときは、ちゃんとここにあることの話、用意してくるわ。その方がいいわよね?」
「おまちしてます〜」


「いやぁ、よくしゃべる人だったね」
 と、山田さんが去ったあと、風の主がほっくりとつぶやいた。
「なんか、ずるい、と思ったよ、私」
「なにが?」
「私幸せかしら、って聞かれて、幸せそうに見えますよ、ってまとめちゃったでしょ」
「うん」
「そこのところが」
「でも、だいたいそういうものだよ。きっと、テレビというのも、そんな感じだよ」
「まとめちゃうの?」
「不安をなくするのが、お仕事だからね」
「じゃあ、やっぱりうちは、テレビなしでいいや」
「ていうか、風の丘は、ここ自体、テレビみたいなものかもしれない」
「そう?」
「リルは、テレビになりたい?」
「う〜ん、まあ、なってもいいよ。でも、べつになりたくはない」
「そうだね、私もさ」



12. みかん記念日2



「あのぉ、みかん記念日のうわさを聞いて来たんですが……」
 そこにいたのは、メガネをかけた学生さんの旅人。身体がすこし透けている。
「みかん記念日? そんなもの、とっくに終了しました」
「いや、終了してもらったら、僕、困るんですけど」
「あなたが困ろうと何しようと、私には関係ない。ちなみに、私の名前はリル。お嬢さん、なんて呼びやがったらグーで殴るから」
「でも、困るのは事実なのです」
「あんたが何を期待していようと、私には関係ないわけ。いいから、もう、みかん記念日のことはほおっておいて」
「……」
「ていうか、こら、風の主さん、こんなヘンな学生さん連れてこられても、私、困るんですけど」
「リルは今日はご機嫌ななめ?」
「誰のせいだと思ってるのよ、え? 風の主さん、あなたのせいよ」
「私?」
 すると、
「聞いてください!」
 と少年が叫んだ。
 リルと、風の主は、ビクッと震えて、学生を見つめた。

「僕は、今日、自殺するんです。理由なんか聞かないでください。説明したくないし、言葉で説明できるほど簡単なことなら、自殺なんてしてません。でも、なにか、残したかったんです。生きている意味があったと思える何かを。だから、今日の記念日を探しました。あまりそういうことの多い日ではなかったけれど、幸い、ここにみかん記念日が行われていることを知って、やってきたわけです。なのに、そんなものはない、という。ひどすぎでしょ。ふざけているにしても、度が過ぎるでしょ」

「でも」と、リルが小声で言った。「君がここに来て、少しからだが透けているということは、もう、やることは、やっちゃったあとなんだね」
「まあ、そうです。時間は、もう、戻せません」
「みかん記念日、したい?」
「はい。せめて、最後に、それだけは」

 というわけで、リルは少年を家に招き、テーブルについて、みかんを二人で食べた。

「えっと、みかん記念日って、みかんを食べる以外に何かすることはないんですか?」
「ないよ。どうして?」
「だって、記念日と言うからには、なにかもっと、記念的な行為があってしかるべきかと」
「わるいけど、そういうのはもっと人がたくさんいるところで期待してくれないかな。うち、風の主さんと二人だけだし。草原のアリさんでも集めてくれば話はちがうけど、そんなことしても喜ばれないってわかっちゃったし」
 風の主さんが「みかん、おいしい?」と優しくたずねた。
「うん、まずくはないけど、普通のみかんですね」
「でも、普通のみかんって、よくない?」
 風の主が、無理して若者言葉を使っているので、リルはクスクスと笑った。
「普通のみかん……まるで、僕がなりたかったものみたいです」
「普通に、なりたかったのかい?」
「まあ、そうですね」
「だったら簡単、君は最初から、普通だよ。まわりのことなんか、あまり気にしなくていいんだよ」
「いいえ、僕は、普通じゃありません。ヘンなんです」
「君がヘンなわけじゃなく、まわりがヘンなのかもしれないよ?」
「風の主さんなら、そう言えるかもしれないけど、人間は、ちがうんで」
「どう、ちがうの?」
 リルは身を乗り出して質問したが、学生はリルが近寄ってきたぶん、身体を引いて、うつむき、みかんを口に入れてつぶやいた。
「いや、ちがうものは、ちがうんで」

 リルも、みかんを食べた。
 その学生の姿が、すっかり透明になって消え去るまで、リルは食べ続けた。

「結局、あの人の考えは変えられなかったね。刺さった何かが、深すぎたんだね」
「ねえ、リルは、自分が普通だと思うかい?」
「私? 何が普通かなんて、わからないし。私は、私でいるしかないし」
「そうだね」

 リルはそのあと、テーブルの上に残ったみかんの皮の山を、いつまでもじっと見つめた。

 もっと早く出会っていたら、なんて考えてもしかたないから、今日は、君のための、みかん記念日。


 
 


11. みかん記念日



「本日、みかん記念日」と宣言したリルは、草原のアリたちを集めて、整列させて、みかんをふるまうことにした。

「いいかな、みんなそろった? 今日は、大切な、みかん記念日。わかってるわね? だから、この私が、アリの皆さんに、みかんをふるまいます。いいですね?」
 アリたちは、三角の頭を小さく振って、困った仕草をした。
「僕たち、みかんは、ちょっと……」
「おだまり。今日は、あなたたちは、みかんをありがたくいただかなくてはならないの。なぜなら、今日は、私が決めた、みかん記念日だから」
「ていうか、どうしてリルが、そんなこと、勝手に決めるの?」
「そうだよ」
「せめて理由を説明しろ」
「そうだそうだ」
「せめて砂糖にしろ」
「そうだそうだ」
 とアリたちがさわぎだした。
 
「で、結局、みかん記念日は、失敗したんだね?」
 と風の主さんはふわふわとリルに話しかけた。
「ん」
 リルは落胆して、テーブルにふしていた。
「さすがにあれはちょっと、強引だったかもしれないね」
「でもさぁ、『記念日』なんて、たいがい、強引なものだと思わない?」
「まあ、そうかもしれないけど」
「アリたちが悪いとは、私は思っていないの。本当よ。ただ、みかんを選んだことが敗因だった、という気がする。次回は、もうすこし正統的で、威圧的なものにする」
「威圧的なもの?」
「もんくをいって騒いだらいけないような雰囲気が最初からただよっているもの」
「例えば?」
「わかんないけど」
 風の主は苦笑した。
「で、次回があるのかい?」
「だって、この丘で、そんなにたくさんネタはないわよ、悪いけど」
「そうは言うけど、どうせリルはヒマなんだし。それに、みかん記念日だって、十分、新ネタじゃないか」
「そんなことより、言わせていただければ、最近、訪問者が少なすぎるのよ。だから、退屈して、アリ相手にストレス発散しなくちゃいけないんだわ。そう、わかった、原因は、アリでも、みかんでもない。訪問者を連れてこない風の主さん、あなたが悪い」
「え、私?」
「うん。ひとつ、しっかり反省して、次はとびきり面白い人をつけてくるように。わかった? わかったら、解散」

「今日は、なんというか、強引だな」
 と風の主は苦笑した。

10. 毒人間ギララ



「あのぉ〜」
「はい?」
「ちょっと、道に迷ってしまって」
「どちらに行かれるおつもりですか?」
「火山クエストに参加したはずだったんですが、それでクーラードリンクとかもちゃんと持って出てきたわけですが、どうもこのあたりは、全然火山ぽくないですね」
 リルは空にむかって「風の主さんは、火山の方向知ってる?」と聞いた。
「……」
「おーい、また寝てるなー、お客さんだよー」
「あ、失礼」
「風の主さん、いつもいつも失礼しすぎ。まるで、お客様なんかどうでもいいみたいな感じじゃん」
「それより、どうしたの?」
 リルは、紫色の服を着た少年に向かって「自分で説明して」と言った。
「自分は、ハンターなんです。ここしばらく毒を得意にしてて、仲間からはギララと呼ばれています」
「ギララ?」
「すみません、ヘンな名前で」
「いや、なかなか毒っぽくていいんじゃないかな。で、どうしたの?」
「今さっき、なかまと火山クエに出発したはずなんですが、気がついたらここに来ていて。ここ、火山ぽくないし」
「火山は、あいにく、この近くにはないね」
「じゃあ、今回はリタイアするしかないって感じですね」
「だね」
「しかし、せっかくなので、なにか採取させてもらっていいですか?」
「採取?」
 とリルが首を横にかしげた。
「ハチミツとか」
「わるいけど、今はハチミツの季節じゃないわ。台所に、ビンに残っている分は少しあるけど」
「ビンに、ハチミツを入れるのですか? それは、聞いたことがないな……」

 毒人間ギララさんが、あたりの採取をして回っているあいだに、リルはお茶の用意をした。毒の人に喜ばれるお茶がどういうお茶かわからなかったけれど、とりあえず紫色のお茶を選んでカップにそそいだ。

「僕は、正直、考えてしまうんです。いつまでもハンターをやっていていいのか、と」
 と少年はお茶をすすりながらつぶやいた。
「でも、ギララさんは、ハンターなんでしょ?」
「そうですが、そうじゃないとも言えます。つまり、心の中で、うずくものがあるのです。それはたぶん、罪の感覚です」
「獲物を殺すから?」
「いいえ、たぶん違います」
「君たちハンターが殺しているのは」と風の主さんが言葉をはさんだ。「もしかしたら『時間』なんじゃないかな」
「……」

 少年が去ったあと、リルが風の主に質問した。
「よかったのかな、あんなこと言っちゃって」
「え?」
「少し、しょげちゃってたよ」
「少しぐらい、いい薬さ。まあ、人のことをとやかく言える立場じゃないことは、私が一番よくわかっているんだ」
「そうね。だって、あなたは風だもの」
「そ。風だものね」




9 ぞうすい祭り




「いやー、いい天気だね〜」
「……」
「何、お嬢ちゃん、ムッとしてるの?」
「あのぉ、私は、リル。お嬢ちゃんなんて呼ぶの禁止」
「知ってるよ、リルちゃん、お嬢ちゃんのことはよーく知ってる」
「あと、いきなり『いい天気だね〜』とか言うのも禁止。まるで才能のない作家の文章の書き始めみたいだし」
「そうだとしても、だ、今日はめでたいぞうすい祭りの日だからね。じっとしちゃあ、いられない。さっさと、ぞうすいを始めようじゃないか、な、お嬢ちゃん」
「私、興味ないし」
「興味ないわけないだろう。一年の最大のイベント、ぞうすい祭りだよ」

 男はねじりはちまきをして、風の丘の庭にぞうすいづくりのこんろと鍋をセットして、まきに火を点けた。
 ここに来て自分で料理を作ろうとする人は初めてだったので、リルはとても驚いた。

「てか、ねえ、あなた、誰?」
「ぞうすい四天王の一人、浦賀の与平とはオレさまのことだ」
「うらがのよへい?」
「まあ、そんなことは、どうでもいいよ。さっさと、ぞうすいを始めようじゃないか。なんてったって、今日はお日様もいい天気、ぞうすいの材料もとびっきりのが入ってるときたもんだ」
「あのね、私ね、はっきり言って、ぞうすいとか、 美味しいと思わないわけ。ぞうすいとか、芋煮とか、なんでそんなことで盛り上がれるのか、ちっとも理解不能」
「お嬢ちゃんは、ケーキとかの方がいいかい?」
「もちろん。マロンケーキ祭りとか、パンプキンパイ祭りとかなら、私だってワクワクするけど、ぞうすいじゃあ、夢も希望もありません」
「いやいやいや、ぞうすいにだって、夢も希望も野望もゴボウもニンジンもコンニャクも、ちゃ〜んとあるから」
「そういうのは、大人の勝手な思いこみってやつね。わるいんだけど、 おしつけないでくれる?」
「おしつける、って、あんた、そういう問題じゃないよ、お嬢ちゃん。なにせ、ぞうすい祭りといえば、可愛い少女が主役なんだからさぁ、もっと、こう、セクシーに張り切ってくれなくちゃあ、困るなぁ」
「ジェネレーションギャップッ」
「え? いま、なんと?」
「ジェネレーションギャップッ、って言ったの」
「いやいや、それはリルちゃんの先入観だから。大丈夫、この浦賀の与平がきたからには、かわいいお嬢ちゃんに後悔はさせねぇっての。やってみればわかる。食べればちゃんと美味しい。ぞうすいとはそういうもの!」

 そんなこんなで、強制的に巻き込まれたリルは、ぞうすい祭りバンザイを楽しげに叫び続ける浦賀の与平さんのお作りになったぞうすいを賞味させていただいたところ、その感想がこれ。

「おいしくない。しかもかび臭い」

「おいおい、そんなこと言うなよりルちゃん、食べ方がたりないんだ。もっとこう、リズミカルにだな、 ワッショイワッショイ、って食うんだ」
「わ、わっしょいわっしょい?」
「そうそう。どんどん食ってくれ、ワッショイワッショイ」
「わわわわ、わっしょいわっしょい」
「おじさん、今日は君に足りないなんて言わさないぞ!」

 すっかりまんぷくになるまで、浦賀の与平さまのお作りになったぞうすいを食べさせられたリルは、もう感想をのべる気力もなくなった。

「じゃあな。リル、なかなかいい食べっぷりだったぜ。また来るからよ!」
 と、リルはかすかに声を聞いたような気がしたが、それを最後に、倒れ込んで気を失った。

「そうはいっても、身体にはいいんだよ、ぞうすいは」
 と風の主さんがふわふわとフォローした。
「たぶん」
 

8. 秋の人



「風の丘というのは、ここですか?」
 スーツケースを手に持ったビジネスマン風の男性が、草原で昼寝をしていたリルに声をかけた。
「あ? は、はあ……」
「私は、片づけに来たものです。ご注文の物は、どちらに?」
「いや、きーてないし。風の主さーん、なにか頼んだ?」
「いや、私も別に頼んだおぼえはないよ」
「……だってさ」
 リルが肩をすくめると、男は苦笑して「たぶん、別の方からの注文でしょう」と言った。
「いやいや、別の人なんて、ここにはいないし。私と、風の主さん、二人だけだし。新キャラとか、考えてないし」
「とりあえず、少し、中を見させてもらってよろしいですか?」
「見るくらいはいいし、いずれにしてもここでは誰も魔法とか使えないし、どうぞご自由に。本当は、お茶でも入れておもてなししたいとこだけど、私、良い夢を見ていたの。もう少し続きを見たいので、眠らせていただきます。じゃ」

 ビジネスマン風の男性は、本当は秋の人だった。
 リルの家の前の、白木のテーブルにスーツケースを載せて、中を開くと、秋の香りが広がった。

「あなたのようなお仕事は、季節ごとにいらっしゃるのですか?」
 と風の主さんの声がふんわりと響いた。
「さあ、私は末端の者で、組織のことはよく知りません。口止めされているとか、そういうことではなく、本当に私は、秋を担当しているだけなのです」
「秋は、好きですか?」
「私にとって、これはいわば、レクイエムなのです。夏が終わり、たくさんの命が閉じる。でも、その命は、草も、虫けらも、みんな、せいいっばい生きた者たちです」
「なるほど。季節の移り変わりというものは、おもしろいものだ」
「さあ、あなたの風で、この『終わりの香り』を、世界に広げてください」
「いや、そんなことしなくても、世界に秋はやってきますよ」
「え?」
「誰だって、永遠に夏のままでは、いられないものですから」
「悲しい現実ですな」
「でも、美しい現実でもあると思いますよ」
「ははは、さすが、風の主さんは、おっしゃることが豪快です」
「秋の人……素敵なお仕事ですね」
「おや、なにか、心当たりでも?」
「秋の山道で、どこにたどり着くというわけでもないのですが、そのイメージを思い出すと、なぜか昔好きだった女性を思い出しましてね。完全な片思いでしたが」
「風の主も、片思いを?」
「まあ、おはずかしながら」
「いえいえ、謙遜なさるな。それはとても秋に似つかわしい」
「私もそう思います」
「秋は、つまり、美しいのです」
「たしかに」


「えっと、なんだっけ?」
 と目を覚ましたリルが、目をこすりながら、あわてて二人の会話に参加して来た。
「なになに? なんの話?」
「もう、終わりましたから」
 と、秋の人は、スーツケースを閉じて、手に持った。
「え? なにが? なにしたの? 私、はぶんちょ?」

 新しく広がった、たくさんの死がキラキラとした粒子となって香る秋の空の下。
 風の主は、リルに優しく言った。
「それより、良い夢だったんだろ。聞かせてくれないかな、ねえ、どんな夢だったの?」
「聞きたい?」
「ああ、長くてもいいから、ゆっくり聞かせてもらおうか」
「あのね、私がね、片思いされちったはなし。でも、私、どうこたえたらいいかわからないから、ずっと片思いのまま」
「おやおや」
「バカみたいね」
「でも、そういうのって、美しいんだ」
「美しいの?」
「そう、美しいんだよ」
 リルは、キラキラの秋の空気を吸って肩をすくめた。
「じゃ、許してあげる」
 
 

7. ロウソク男さん



「あなたの心に、ロウソクを」
 と、物売りっぽい声が聞こえた。
「だれ?」
「お嬢ちゃん、パパか、ママは、いるかね?」
「いないよ、そんなの。全然いない。見たこともない」
「そうかい、じゃあ、お嬢ちゃんでもいいか。ロウソクを1本、買ってくれないかな?」
「ごめん。私、お金ないし」
「おやおや、お金がないときた。これは、まいったね。あのね、私は、お金なんて、ほしいわけじゃないんだよ。私が本当にほしいのは、このロウソクにつける『火』なのさ」
「はあ?」
「いえね、私は、こうやってロウソクを持っているわけだが、ロウソクだけを持っていても意味がないわけですわ。こいつは、火を点けて、なんぼ。そうでしょ?」
「でも、火を点けたら、なくなっちゃわない?」
「それはそうだが、そのために存在するロウソクとしては、火を灯してもらって、なくなっていくなら、本望というやつなんでございますよ。でもね、火がなけりゃあ、どうにもならない」
「火なんて、ないよ、ここには」
「でも、お嬢ちゃん自身が燃える、という方法は、ないわけではない」
「え……」
「私はロウソク男。呪文を唱えると、人間に火を点けることができるのであります」
 彼が目を閉じて、ロウソクを両手で前に持ったまま呪文を唱え始めると、リルの指先から灯が灯り、腕が燃え始めた。
「ちょ、ちょ、ちょ、なによ、これ。勝手に私に火を点けないで。てか、私が勝手に燃えてるの? なんで?」
 すると、風の主のふわふわした優しい声が響いた。 
「心配しないで、リル。燃えてみるのも、悪いことじゃないから」
「はあぁ?」
「ロウソク男さんは、よく少女を燃やすのさ。そういうものだから」
「そ、そういうものって、それで納得しないでよ。私はどーなるのよ。燃えちゃうじゃん」
 するとロウソク男は、ニヤリと笑みを浮かべた。
「ご心配なく、お嬢ちゃん。私は『萌え』をつかさどるもの。リルちゃんが、より、可愛くなるお手伝いをするだけですから」
「おいおい、そんなの頼んでないって。やめて、って。ほら、火が、身体にも。なんじゃ、こりゃあ!」
 火をうけて燃えたリルの服は、黄色い可愛らしいものに替わっていった。
「うん、いい感じだよ、リル」
「風の主さんも、んなこと言ってないで、ちょっとは怒ってよ。こんなこと、勝手にされて、私、めーわく」
「まあまあ。ところで、リル、まだロウソク男さんに、お茶も出していないんじゃないか?」
「お茶?」とリルは冷たい視線を男に送り「あんた、飲みたい?」と質問した。
「はい。それはもう、こんなに可愛くなったお嬢ちゃんと、お茶をご一緒できるなら、最高でございます」
「あんた、ロウソク、売んなくていいの?」
「売らせていただきましたよ。ご心配なく。ねえ、風の主さん」
「うん、もうリルは十分売らせてあげたと思うよ」
「なんなん? あんたたち、自分らだけで納得して」
 ふてくされたリルを無視して、風の主はロウソク男さんに優しく言った。 
「お飲み物は、何がよろしいですか?」
「いえ、私、特に好き嫌いはないほうでして。なんでも喜んでいただかせていただきます」
「それはよかった。しかし、なかなかいい『燃え』でしたね」
「でしょ?」
「さすが、ロウソク男さんです」
「いやいや、それほどでも」

 リルは腹を立てて、一番苦いお茶を彼に出したけれど、すっかり大人のロウソク男さんは「美味しいですね」と平然と味わった。
 
 ロウソク男さんが帰ったあと、風の主さんは「今日のリルは特に可愛いね」と優しく言った。
「私、怒ってるんですけど、まじで」
「その怒り方が、かわいい」
 リルは涙目になり、天にむかって手を合わせた。
「もー、私、どうすればいいの? 助けて神さま……」


  

6. ママ



 その日、リルは最初から泣いていた。目覚めたときから、泣いていた。
「なんで? なんでママがここにいるの? いないはずでしょ? いちゃいけないでしょ? いないってことで、私たち、生きてきたのに、いきなり来るなんて、ひどいよ」
 風の主はふわふわと優しく言葉を添えた。
「リルには、ママが見えるんだね?」
「うん」
「そうか。だって、リルは、ママの子供だからな」
「そんなの、ひどいよ。いるのか、いないのか、はっきりしてくれなきゃ、泣いちゃうじゃん」
「泣いても、いいんだよ」
「いやだぁ。全部、いやだぁ。みんな、バカ。バカすぎる」
「ま、そうなんだ。バカなんだね、本当に」

 ママは、リルに言った。
「迷うことは、ないよ。ママは、あなたのこと、信じているから」
「どういうこと、それ? だって、現実には、いないんでしょ? どこにいるの? ひどいよ。自分だけ、何してるの? 仕事? 人助け? 遊び? 趣味? それとも、事情があってどうしてもやらなきゃいけないこと?」
「はなれていても、心はつながっているのよ。ママの声が聞きたかったら、いつでも、自分の心の中に語りかけて。ちゃんと、私は、そこにいるから」
「私の中にいるのは、私。ママじゃない」
「そんなことないよ。あなたの心の、本当の奥に声をかければ、大丈夫」
「大丈夫じゃない。そんなの、いやなの。ここにいてよ。なんで、それができないの? 簡単なことじゃん。ただ、ここにいればいいのよ。こんな簡単なこと、なんでやってくれないかなー。ママは、ママじゃないの? だれか代わりの人がやってるニセ物?」
 けれどもママが本物であるという真実を、一番わかっているのは、リル自身だったから、また激しく涙がこみ上げてきた。
「リル、心配しないで。だって、今だって、こうやって、あなたは、心の中にいるママに、ちゃんと声が届いているのだから」
「そんなの、ぜんぜん足りない。もー、なんでわからないかなー」

 ここにはいられない人。
 どこにいるのかもわからない人。
 
 たくさん泣いて、泣き疲れたリルは、もういちど一人でお布団に入って、目をつぶった。
 たくさん眠ってやる、と思った。
 ふて寝だ、ふて寝!
 ママの、バカ!


2013年8月24日土曜日

5. 学校の先生さま



「おい、ここはどこだ?」
 と、よれよれのジャケットを着て黒縁眼鏡をかけたおじさんが風の丘にやってきた。地味な姿だが、身長は高い。
「こんにちはー」
「君は?」
「リルです。あなたは?」
「宮本タケシといいます。小学校の教師をやってます」
「あらあら、学校の先生さま?」
「い、いや、べつに『さま』なんかつけなくてもいいですが」
「でも、えらい人なんでしょ?」
 おじさんは苦笑して「そういえば、昔はそんな時代があったかもしれませんね」とつぶやいた。
「昔?」
「今は、ちがうんですよ。みんな、いいたい放題です。先生の苦労なんて、だーれもわかっちゃくれない。いいですか。このごろの親は、箸の持ち方まで学校で教わるものだと勘違いしている。ていうか、怒ってくるわけですよ。うちのこの箸の持ち方、おかしいじゃない、何を指導しているの、と。普通、それは親が教えることじゃないかな、と思うんですけどね、おそるおそる、そのようなことを指摘しますとね、倍になって逆襲が来ちゃうんです。ドー、って。親は子供に教えるのにお金をもらえないけど、教師はお金をもらっているんでしょ、だったら教師がやるに決まってるじゃない、って」
「……あの……」
「はい?」
「もしかして、言いたいこと、いっぱいあります?」
「ははは、すみません。急にいろいろしゃべり始めてしまって」
「いいんですけど、まず、うちにもどって、お茶でもどうぞ」
「ありがとう。リルちゃんと言ったかな、小さいのに、しっかりしていますね」
「だって、私がしっかりしなかったら、だれがしっかりするの? ここには、他に誰もいないのよ」

 背が高いおじさんには、リルの家は、少しずつ小さすぎた。
 身体を丸めて椅子に納まり、小さなカップでお茶をすすった。
「なんだか、ここは、せまくて、落ち着きます」
「せまくて、落ち着く?」
「はい、このくらいが、むしろ私にはちょうどいいようで」
「たぶん、学校の先生さまは、大変なお仕事を続けていらっしゃるのね」
「いえ、勉強を教えること自体は、大変というわけではないし、話を聞いてくれる子供たちが成長していくのは、心の底から嬉しいものです。問題は、それ以外のことが、多すぎる」
「ねね、風の主さんはどう思う?」
「……」
 リルが宙に向かって声をかけたけれど、反応がない。
「おーい、お客さん来てるよー、寝てないで起きてくださーい、風の主さーん」
「あ、失礼」と、やわらかな声が響いた。
「今、本当に寝てた?」
「うん。いけない?」
「いけなくないけど、気付こうよ、お客さんのこと。失礼じゃん」
「ごめんごめん。素敵な夢を見てしまってね」
「夢?」
「ああ。ラブラブな夢」
「もー、なに妄想してんだか。そんなことより、この学校の先生さま、とても困って、疲れちゃっていらっしゃるから、どうしたらいいかいっしょに考えてあげてよ」
「それだったら、あれをさしあげたらいいよ」
 リルも、学校の先生さまも、目を丸くして、首を横にかしげた。
「あれって?」
「え?」
 風の主は、当たり前のことのように答えた。
「クリスタル。心色のクリスタルがあったろ。あれをあげたらいい」
 リルは「なるほど」と手を打って頷いた。
 しかし学校の先生さまは、丸まった背を、さらに丸くして恐縮した。
「なんだか、そんなすごいものをもらうわけにはいかない、というか、そういうつもりでここに来たわけではない、というか、むしろ、私の苦労話でも聞いてもらって、少し気休めになれば十分、というか……」
「遠慮しちゃダメよ。こういうチャンスは、たぶん、あまりないことだから」
 リルはベットサイドの物入れから光る石を取り出した。
「はい、あげます。心色のクリスタル」
「そ、そんな……」
 学校の先生さまは、リルが差し出した高貴な輝きを放つ石を前にしてとまどったが、風の主はふわふわとやさしく言葉をそえた。
「どうぞ、おもちください。学校の先生さま。どんな時代だって、子供たちを導くのは、最高のお仕事です。そんなかたこそ、心色のクリスタルを持つのがふさわしい」
 すると、おじさんは、椅子から崩れ落ち、膝をついて泣き始めた。
 ためこんだものを全て吐き出すほど激しく泣いて、それが収まったときには、そこにあった心色のクリスタルが、あとかたもなく消えていた。
 
「あーあ、もってかれちゃったね」
 とリルは、学校の先生さまが去ったあとに、風の主に言った。
「ま、ああいう人が来たら、しかたがないよ」
「そうよね。けちけちしてたって意味ないし」
「そうそう、そういうことさ」



4. 死に神さん



 風の丘には、ときどき変わった人がやって来る。
 今日やってきた老人は、自分のことを死に神と自己紹介した。
「私はね、たくさん殺しましたよ。だからね、死に神と呼ばれている。ごめんね、お嬢ちゃん。出会ってしまったからには、あんたも私に殺されなくちゃいけないんだよ」
「どうして?」
「だって、私は死に神だから」
「それはおかしいわ。たくさん人を殺したから、死に神さんなんでしょ? それはそれでいいけれど、死に神さんだからといって、出会った人を全て殺さなくてはならないとは限らないわ」
「むむ、口答えするかね、まないきなお嬢さんだ」
「ま、死に神さんが何をするにしても、まずは、ご飯でも食べましょう」
「ご飯? お嬢ちゃんは、私を怖くないのかい?」
「少し、怖い」
「少しかい?」
「だって、死に神さんだもの」
「いやいや、たくさん怖がってくれないと、私としては困るんだが」
「ごめんなさい。でも、私、あまりたくさん怖がれる方じゃないの」
「なら、しかたがないな。なんだかここは、風が心地いいようだ」
「天国みたいでしょ?」
「むむ、それもまた困った話だ」
「なんで?」
「私は、天国の人を殺したことはまだ一度もないし、殺せるかどうかもわからない。たぶん、無理なんじゃないかな、と思ったりする」
「死に神さんが殺せない人って、じゃあ、誰が殺すんだろうね? ねね、風の主さんは知ってる?」
「リル、君の笑顔は強力だからね、たいがいの人はそれでまいっちゃうんじゃないかな。リルの笑顔でいちころさ」
「私……が?」
「冗談だよ」
「あのぉ、笑えない冗談言うの、やめてくれません?」
「そうでもないようだよ、見てごらん、死に神さん、身体を丸めて笑いをこらえているから」
「え、マジ……?」

 フルーツサラダと、キノコのパスタを食べながら、リルは死に神に説教を始めた。
「あのね、あなたは死に神の人なんでしょ? あんなくだらない冗談で笑っちゃダメじゃん」
「す、すみません」
「もっと、面白い冗談で笑うなら、それはそれで許してあげるの。でも、あんなことで笑いをこらえていたら、うちの風の主さんが調子に乗っちゃうじゃない。で、あなたがいなくなったあとも、『笑いをこらえてくれる人はいるんだよ』とか自信をもっちゃって、私にチョーつまらない冗談を言い続けるのよ。どうしてくれるの、責任とってよ」
「いや、死に神に責任とれといわれても、私にできることは、人の命を取るくらいしか……」
「ほんと、ダメね。たまには他のことができるようになっときなさい」
「は、はい」
「だいたい、あなた、人の命を取ってばかりで、人に命をあげるってことはできないの?」
「まあ、いちおう、死に神なもので」
「だから、ダメなのよ。取ったら、あげる。わかる? 基本中の基本よ、これ」
「は、はあ……」
「りぴーとあふたーみー。『取ったら、あげる』 どうぞ」
「取ったら、あげる」
「もう一度。取ったら、あげる」
「取ったら、あげる」
「いい? 取るばっかりで、それで満足しているから、一歩も成長できないんだからね。はっきり聞くけど、あなた、成長する気ないの?」
「いや、できることなら、成長はしたいですが」
「だったら、私の言うことを真面目に聞きくこと。わかった? 明日から、猛特訓よ。覚悟しときなさい」

 翌朝、死に神さんは、そっといなくなっていた。
 リルはため息をついて、朝食のあと、風の丘を歩いた。
 そこには風の主しかいなかった。
 でも、風の主だけは、かわらずにそこにいた。

3. 風の旅人さん



「私は、風だ」
 と太い声が響いた。
「はあ?」
 リルは空をみあげた。
「強い風だ。おまえら、みんな、吹き飛ばす」
 脅すような声は、地鳴りのように響き渡ったけれど、丘の風はいたっておだやかで、いつもと変わりはなかった。
「あなたは、どこの風の主さん?」
「どこかなんて、関係ない。私は、どこのものでもない。私は、破壊する」
 リルは首をかしげて、いつもの風の主にむかって言った。
「あんなこと言ってるよ。どうなの?」
「いろんな風の主がいるからね。彼は、少し、あせっているんだ。しばらくすれば、僕みたいに仲良くなれるよ」
「しばらくって、どのくらい?」
「三日くらいかな」
「わかった」

 三日たつと、そこには一人の風の旅人がいた。
「あらあら、風の主さんではなく、風の旅人さんだったのね」
「モンクあるかよ」
 人の姿になっても、攻撃的な性格はそのままだった。
 リルはお茶を用意して、彼に差し出した。
「どうぞ、お飲みください」
「こんな茶の一杯くらいで、友好的になったりしないぞ」
「あなたは、あなたのままでオッケー。ここには、いろんな人が来るよ。攻撃的な人がいらっしゃるのも、私には、お楽しみ」
 風の旅人は飲みかけた茶をプッとふきだした。
「お楽しみ、ってなんだ? なめてると、すごいことするぞ」
「なめてない、なめてない」
 と、リルは両手を振って否定した。
「なら、いい」
「それにしても、あなたが風の人って、なぜ?」
「そんなことを知って、どうする?」
「どうもしないけど、お話を聞かせてもらうの、私、いつも楽しみにしてるから」
「ふんっ」
 と彼は横を向いて、目を閉じた。
「おまえ、人の悲しみってやつを知っているか?」
「少しは、知ってるかも」
「少しでは、話にならん。とてつもない悲しみだ。いいか、それを回想すると、涙が出てくるんだ。ほら、みろ、出てきているだろ」
 確かに彼の目から、涙があふれて頬をつたい落ちた。
「そうか」とリルは手を打った。「悲しみが本物だと、風を使えるようになるんだね。ねね、風の主さん、あなたも悲しい?」
 丘の風の主は、そっと苦笑して答えた。
「わからないよ。いろいろあったけど、ま、昔のことだから」
「あなたは、彼の気持ちがわかる?」
「わかるような気もするけれど、正確には、それは彼の問題だから」
「そうね」
 リルは頷いて「よくわからんけど、なんか、いい話だぁ」とつぶやいた。

「では、このへんで」
 と風の人は、再び強い風をまとった。
「つ、強すぎるー」
 とリルは飛ばされそうになって、苦情を申し述べた。
「僕はもう行く。君は飛ばされないだろう」
「そういう問題じゃないー! てか、仮定形かよー!」
 家の縁にしがみついて飛ばされないようにあがなっているリルに、風の主がおだやかに言葉をかけた。
「リルは、飛ばされないさ。私がいるから、大丈夫」
「ほんと?」
「手を放してごらん」
 強い風がリルの髪をくしゃくしゃにしているのはそのままだったけれど、手で支えなくても身体が飛ばされそうになることは、もうなかった。
 同じ風。
 しかし、風の主は、風の主。
 リルは、リル。
 風の丘は、風の丘。

 強い風も、柔らかい光も、今日はあまり大きな変化はしなかった。



2. 魔法を使う旅人さん



「僕を、かくまってください」
 と、黒いローブで身を包んだ少年がやってきた。
「追われているんです、兵隊たちが、僕を殺そうと」
「あら、それはたいへん。どうぞどうぞ」
 と、さっそくリルは少年を小さな家にまねきいれた。
「私たちの風の丘は、こんなちっぽけなところですが、風の主が守っているので、ここでは暴力は使えないの。知ってた?」
「ホントですか!」
 少年の顔にパッと希望の光が輝いた。
「でも、敵もそうだけど、君の魔法も使えないのも、いっしょだから」
 と風の主が、ゆったりと説明をつけくわえた。

「リルちゃん、僕は魔法を使うものです。いや、まだ学習中ですけど、いちおう西の戦闘では実戦を経験しています」
「魔法で、実戦ですか?」
「はい。魔法というものは、一対一の格闘ではほとんど無力ですが、広範囲にまとめてダメージを与えることができます。うまく利用できれば形勢を逆転させうることも可能なのです。また、サポート魔法といって、身方の戦士たちの体力を回復したり、防御力を高めたり、スピードを速めて格闘を有利にさせてあげたり、といったこともできます」
「ふーん。そんなことをできる人が仲間にいたり、きっととても強くなるね」
「いや、しかし、魔法使いがいるのは、あちらも同じです。使える魔法の種類も、たいがいは知れ渡っていますから、どちらかが決定的に有利ということは、今では、まずありえません」
「ねね、魔法って、疲れる?」
「は……はい。体力を消耗します」
「じゃあ、ご飯、食べようか」
「は?」
「今日はね、アスパラサンドと、ゆり根スープだよ」
「よくわかりませんが、とてもきちんとした食材の名前だ。そんなもの、僕は久しく口にしていない。ここ最近、ずっと軍が支給してくれるポーションとエーテルばかりだった」
「ポーションとエーテルで、おなかいっぱいになるの?」
「空腹感は、問題ではない。栄養が足りれば、戦闘に復帰できるので」
「むむっ、なるほど」
「ただし、むなしさは、残るよ。そんなもので、心は満たされない」
「あの、魔法使いの旅人さんにとって『心』って何?」
「魔法に関係しているものだ。それは確かだ」
「じゃあ、心から戦っているのね?」
「ああ、そうとも言える。まさに心の底から戦っている」
「疲れないの?」
 魔法使いの少年は苦笑して「疲れるけれど、敵軍を蹴散らした勝利の興奮が、それを補ってくれるんだ」と正直に告白した。

 風の主とリルは、食事を用意しながら語り合った。
「魔法なんか、あっていいの?」
「いいか悪いかを考えてもしかたがないよ、リル。あるものは、あるんだから」
「でも、私は思うんだけど、戦いの傷は薬で治るよ。痛いかもしんないけど。でも、心を戦いにつかって傷ついたら、誰が治すの?」
「リルはまだ、それのことは知らないんだね」
「それ?」
「世の中には、時間という、万能薬があるんだ」
「なにそれ?」
「そのうち、わかるようになる」
 リルは小さな口をとんがらせて「なんでも時間のせいにするのね」とふてくされた。
「だって、そういうものだから」
「時間なんて、だいっきらい」
「まあまあ」

 魔法使いの少年は、食事のお礼をしようと考え、リルたちに魔法を見せようと試みた。たいがいの魔法は無理としても、コップを持ち上げるくらいのことはできそうに思えたから。
 しかし、その魔法は実現せず、かわりに彼が食べたものが、嘔吐として口から飛び出て、床に広がった。吐物は、一瞬のうちにグツグツと沸騰し始めた。
 少年は苦笑して、黒いローブをはおると、風の丘を去って行った。

1. 戦う旅人さん


 風の丘にいらっしゃる風の主は、今日もゆったりと生きていらっしゃる。もちろん風の主のなかには、ときにせっかちな性格のかたや、暴力的な性格のかたもいないわけではないが、ここの丘の風の主は、そういったこととは無縁な、のんびりとしたタイプの主さんなのだった。

 風の主と暮らす小さなリルは、ときどき不安におびえながら、救いを求めるように空を見上げて思う。この世界は、どこまで続いているのだろう、と。そういうことは、ゆったりした風の主も、かつては同じように思索したものなので、二人はいつも仲良しだ。

 そして、旅人がこの丘にやって来れば、できる限りのもてなしをして、そのかわりに外の話を聞かせてもらう。


「超能力のうわさがあります」
 と、あるときやってきた若い旅人は、聖剣を脇に置き、リルが温め直したトマトスープをスプーンで口に運び、目をふせたまま静かに語り始めた。
「それは人に宿るものか、あるいは人が悟るものか、僕にはわかりません。しかし物質を超越した力は、瞬時にして世界を滅ぼすと言われています」
 リルは、小さな目を精一杯大きく開いて「なんじゃ、そりゃあ」と驚いた。
「悪意あるものが、その力を手にする前に、我々が見つけて、聖なる力を守らねば」
「うん、うん。そうしてください、旅人さま。あなただけが頼りです」
「はい。がんばります。みなさんの幸福は、何より大切なもの。悪しき者たちに、かってな真似はさせません、絶対に」

 その旅人が出て行くと、入れ替わるように、こんどは女の旅人が現れた。彼女は傷ついていたから、風の主は優しくいたわり、リルは薬草を摘んで、飲み薬と塗り薬を作り上げた。
 ベッドに横になった女旅人は、まだ壮絶な闘いの余韻の残る震えた声で、二人に話しかけた。
「すまない。今、東の国では、激しい闘いが行われている」
 リルは目を丸くして「すっごい」とつぶやいた。
「私は敵兵を追っている。最近ここに、剣を持った者が来なかったか?」 
「はい、あなたと入れ替わるように、先ほど旅立たれたかたが一人。聖剣を持ち、聖なる力を守る、とおっしゃっていました」
「やつめ。聖者を名乗る極悪人なのだ。こんな辺境の地まで、愚劣な悪意に染めるつもりか、くそう」
 リルはキョトンとして「悪意ですか?」と質問した。
「ああ、そうだ。やつは、他者を悪と決めつけて、平和を守るとほざき、やりたい放題だ。誰かが止めなければ、この世界は滅びてしまう」
「あの人は、超能力を探している、って言っていましたよ」
「本当か?」
 驚いて前のめりになった女旅人は、しかし傷の痛みに「うっ」とうなり、すぐに姿勢を戻した。
「本当なら、大変なことだ」
「まあまあ。いまは、おやすみになってください。風の主も、あなたを優しくいたわりますので」

 女旅人は、苦みのある薬を口に含んで、目を固く閉じた。やがて痛みは麻痺した。しかし、記憶は癒えない。傷を負った瞬間の絶対的な恐怖だけは、あがないがたい巨石のようにのしかかり続けた。
 そのまま、三日間、彼女は眠った。
 彼女の本当の名前は、夏の午後、だった。

「夏の午後さん、イチゴソースのかかったケーキ、お食べになりますか?」
 と目覚めた彼女に、リルは朗らかに声をかけた。
「ああ……そうですね……何か食べないとまいってしまう」
「よく、おやすみでしたよ。私、こんなに深く眠る人って、初めて見ました。やはり旅は、大変なことなのですね」
「そうだね。それにしても、本当にありがとう。すっかり世話になってしまった」
「いいんです。私たちにできるのは、このくらいのものですから」
 イチゴのすっぱいソースのかかったケーキと、甘いミルクティーを、ゆっくりと口に運びながら、女旅人は、外の世界の過去と、未来についてリルに語った。
「この世界は、いわば一つの入れ物なのだ。とても大きいので、無限のように勘違いしがちだが、けっして無限というわけではない。だからそこには、絶対的な力が、存在する。その力をどう扱い、いさめ、調和をもたらすか、それが我々の主要な課題だった。ところが、調和は、減退している。コマのようなものだ。回転の勢いが減って、ふらふらとブレはじめている」
「じゃあ、また、ググッと回転させれば?」
「ググッと?」
「そう。ね?」
 すると風の主は、深いため息をついて「森の住人たちに、そのような才覚はないものだよ」と声を響かせた。
「森の住人って?」
「リルはまだ知らないんだね。人はみな、森の住人だったのだよ。リルも、祖先はそんな感じさ」
「ふーん。森って、なに?」
「知らないの?」と女旅人は苦笑した。
「知らないよ。なんだか、大きそうなことだけは、わかるけど。夏の午後さんは知っているの?」
「暗くて、少し怖い。しかし空気は、ここと似ているかもしれない」
「きっと、いろんなものが生まれてくる場所なんだね」
 リルの想像に、女旅人は頷いた。
「生まれ、消えていく。リルちゃんも、きっと詳しくなるだろう。旅をすれば、いやおうなく、いろいろなことに詳しくなる」
 しかし小さなリルは肩をすくめて「私は、旅はしないよ」と、すっかり決まっているかのようにあっけらかんと言った。
「なぜ?」
「私には、旅は、よくわからないの。わかろうとして、いろんなお話を聞くようにしているけど、でも、一度も本当にわかったことはないの」
 女旅人は視線を宙に漂わせて「では、私もここ居続けたら、旅を忘れて、幸せになれるかな」と、風の主に語りかけた。
「それは無理だよ。夏の午後さんは、旅人だからね。でも、またおいで。私とリルは、ずっとここにいて、夏の午後さんの帰りを待っているよ」
 するとリルも頷いて「そうだよ、夏の午後さんが、どんなに傷ついて、ぼろぼろになっても、ぜんぜん大丈夫だから。ここで薬を飲んで眠ってしまえば、必ずよくなるよ。だから、遠慮しないでね。いつでも来て、まってるよ、私」
 
 女旅人は、装備を調えた。傷んだ防具を革紐でつくろい、刀を石で研いだ。太い両刃の刀は、何かを切るための道具だった。切って、命を奪う。あるいは動物の腹を割き、人の首をはねることだってあるかもしれない。
 その研ぎ終わった金属の透明な輝きを見たリルは、その輝きが、美しい超能力のように思えたのだった。リルには用はないけれど、輝きがあったことは、なんとなく、少し悲しく、わかったのだった。