2013年10月2日水曜日

19 下着博士



「こんにちは、お嬢ちゃん」
「こんにちは、おじさん」
「いやいや、おじさんはやめてくれ。私は、こう見えても、下着博士なのだよ」
「こちらこそ、お嬢ちゃんはやめてよ。私はこう見えても、リルなの」
「じゃあ、リルちゃん、せっかく知り合ったのだから、何か望みがあるかな?」
「来た人には、いろいろお話を聞かせてもらっています。それが望み」
「うむうむ。しかし、下着の話でいいのかい?」


 とりあえず悪い人ではないようなので、いつも通りに小さめの家に入ってもらって、お茶を用意したリルだったが、『下着の話でいいのか』ということについては、答えを出しかねていた。
「あのぉ、もしよかったら、やっぱ、下着以外の話にしません?」
「そういわれても、おじさんは困ってしまうよ。私は下着博士で、それ以外の者ではないからね」
「たとえば、レンコンについては、どうお考えですか?」
「ん? レンコンかい? そういうガラのパンツは、あったような気もするが、どうだろう。豚の鼻なら、よくある。いわゆる豚がら系の一種で、動物がらの中では、わりとポピュラーなのだが」
「じゃあ、深海魚は?」
「それもまた、珍しいガラだね。チョウチンアンコウの紫パンツなら見たことがあるが、シーラカンスとか、ありそうだけれど、私は見たことがないね」
「下着博士さまは、バンツのガラに詳しいの?」
「そういうわけでもないけれど、なにせ、たくさん見てきているのでね」
「じゃあ、世界のいろんなことも見てきた?」
 下着博士は目を大きく開いてから、苦笑をもらした。
「まあ、世界というより、男と女のことは、いろいろ見させられてきたよ。実際、それがなければ、下着は安もので十分なわけだからね」
「男と女のこと、というと、たとえば?」
「そんな話、ここでしていいの?」
「大丈夫。今日は風の主さん、いないし」
「主さんはどこに行ったの?」
「ヒーローについて考える、って、なにかの講習に行ったみたい」
「ふ〜ん、いろんなこと、するんだね」
「ちょっとした気まぐれよ。どうせすぐに戻ってくるし」
「いや、それにしても、ヒーローになるための講習ですか。うむうむ、私も行こうかな」
「やめた方がいいと思いますよ。どうせ広告だけいいこと言って、なんにもならないのが見え見えだし」
「だって、下着博士でいつづけるよりは、いいと思わないかね? つまり、私がヒーローになろう、と言うんじゃないわけだ。私はあくまで、ヒーローになるための講師を目指して、勉強するわけです」
「え、講師?」
「そう。ヒーローそのものになるのは無理でも、ヒーローについて教える講師なら、なれる可能性があると思わないかい?」
「むむ、なるほど」
「講師よりは、博士の方がえらい人みたいな呼び名ですが、問題はその中身ですからな。下着とヒーローでは、ヒーローの方がはるかによいですからな」
「おじさんは、下着博士でなくなってもいいの?」
 するとおじさんは大きく目を見開いてから、あきらめたように首を振った。
「いいえ、そう、おっしゃるとおりです。私は下着博士。ちょっと、夢を見ただけです」
「下着博士って、大変なの?」
「まあ、どんな仕事だって、苦労や誤解はつきものですからね。しかたがありません。私は、これでやっていきますよ」
「うん、がんばってね。私、応援してるから」
「ありがとう。なんだか前向きな気分になったきた。お礼に、一つ、ブラジャーをあげようか? 白くてかわいい花のワンポイントアクセント付きのを」
「いや、いいっす。そういうのは、そのうち必要になったら、自分で手に入れるんで」
「……ですね。すみません。自分は、残念なことに、こんなものしか持っていない男で……」
 と落胆したおじさんを見て、リルはあわてた。
「うそうそ。もらいますよー。かわいいなー。私、このブラ、大好きになっちゃったー、ありがとー、おじさん」
 すると下着博士のおじさんは、満面の笑みを浮かべた。
「リルちゃん、そんなに気に入ってくれたのなら、今、してみる?」
「いやいや、それは、ちょっと」
「ですね。いつか、大きくなったら、して下さい」

 
「今日ね、下着のおじさんが来たよ」
 と、リルは戻ってきた風の主に言った。
「下着姿のおじさん?」
「ううん、ちがうの。ご本人はいたって真面目なスーツ姿」
「スーツ姿?」
「そう。ただ、仕事が下着博士なんだって」
「ヘンな人かい?」
「ヘンだけど、でも、優しかった」
「お友達になれたかい?」
「それはわからないけど、でも、プレゼント、もらっちゃった」
「なに?」
「ないしょ」
「教えてくれないの?」
「うん。いつか風の主さんが大きくなったら、教えてあげるね」
「私は、もうこれ以上は大きくならないと思うよ」
「じゃあ、むりね」
「今日のリルは、イジワル?」
「ちがうわ。これは女子話題、ということです」
「やれやれ」
 リルは笑みを浮かべて、軽やかにスキップしてみた。

 無理してスキップはしてみたけれど、心の中では、風の主さんと同じように「やれやれ」とつぶやいていた。
 そして、リルにも少し、悩める下着博士の気持ちがわかったような気がしたのだった。



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