2013年8月24日土曜日

5. 学校の先生さま



「おい、ここはどこだ?」
 と、よれよれのジャケットを着て黒縁眼鏡をかけたおじさんが風の丘にやってきた。地味な姿だが、身長は高い。
「こんにちはー」
「君は?」
「リルです。あなたは?」
「宮本タケシといいます。小学校の教師をやってます」
「あらあら、学校の先生さま?」
「い、いや、べつに『さま』なんかつけなくてもいいですが」
「でも、えらい人なんでしょ?」
 おじさんは苦笑して「そういえば、昔はそんな時代があったかもしれませんね」とつぶやいた。
「昔?」
「今は、ちがうんですよ。みんな、いいたい放題です。先生の苦労なんて、だーれもわかっちゃくれない。いいですか。このごろの親は、箸の持ち方まで学校で教わるものだと勘違いしている。ていうか、怒ってくるわけですよ。うちのこの箸の持ち方、おかしいじゃない、何を指導しているの、と。普通、それは親が教えることじゃないかな、と思うんですけどね、おそるおそる、そのようなことを指摘しますとね、倍になって逆襲が来ちゃうんです。ドー、って。親は子供に教えるのにお金をもらえないけど、教師はお金をもらっているんでしょ、だったら教師がやるに決まってるじゃない、って」
「……あの……」
「はい?」
「もしかして、言いたいこと、いっぱいあります?」
「ははは、すみません。急にいろいろしゃべり始めてしまって」
「いいんですけど、まず、うちにもどって、お茶でもどうぞ」
「ありがとう。リルちゃんと言ったかな、小さいのに、しっかりしていますね」
「だって、私がしっかりしなかったら、だれがしっかりするの? ここには、他に誰もいないのよ」

 背が高いおじさんには、リルの家は、少しずつ小さすぎた。
 身体を丸めて椅子に納まり、小さなカップでお茶をすすった。
「なんだか、ここは、せまくて、落ち着きます」
「せまくて、落ち着く?」
「はい、このくらいが、むしろ私にはちょうどいいようで」
「たぶん、学校の先生さまは、大変なお仕事を続けていらっしゃるのね」
「いえ、勉強を教えること自体は、大変というわけではないし、話を聞いてくれる子供たちが成長していくのは、心の底から嬉しいものです。問題は、それ以外のことが、多すぎる」
「ねね、風の主さんはどう思う?」
「……」
 リルが宙に向かって声をかけたけれど、反応がない。
「おーい、お客さん来てるよー、寝てないで起きてくださーい、風の主さーん」
「あ、失礼」と、やわらかな声が響いた。
「今、本当に寝てた?」
「うん。いけない?」
「いけなくないけど、気付こうよ、お客さんのこと。失礼じゃん」
「ごめんごめん。素敵な夢を見てしまってね」
「夢?」
「ああ。ラブラブな夢」
「もー、なに妄想してんだか。そんなことより、この学校の先生さま、とても困って、疲れちゃっていらっしゃるから、どうしたらいいかいっしょに考えてあげてよ」
「それだったら、あれをさしあげたらいいよ」
 リルも、学校の先生さまも、目を丸くして、首を横にかしげた。
「あれって?」
「え?」
 風の主は、当たり前のことのように答えた。
「クリスタル。心色のクリスタルがあったろ。あれをあげたらいい」
 リルは「なるほど」と手を打って頷いた。
 しかし学校の先生さまは、丸まった背を、さらに丸くして恐縮した。
「なんだか、そんなすごいものをもらうわけにはいかない、というか、そういうつもりでここに来たわけではない、というか、むしろ、私の苦労話でも聞いてもらって、少し気休めになれば十分、というか……」
「遠慮しちゃダメよ。こういうチャンスは、たぶん、あまりないことだから」
 リルはベットサイドの物入れから光る石を取り出した。
「はい、あげます。心色のクリスタル」
「そ、そんな……」
 学校の先生さまは、リルが差し出した高貴な輝きを放つ石を前にしてとまどったが、風の主はふわふわとやさしく言葉をそえた。
「どうぞ、おもちください。学校の先生さま。どんな時代だって、子供たちを導くのは、最高のお仕事です。そんなかたこそ、心色のクリスタルを持つのがふさわしい」
 すると、おじさんは、椅子から崩れ落ち、膝をついて泣き始めた。
 ためこんだものを全て吐き出すほど激しく泣いて、それが収まったときには、そこにあった心色のクリスタルが、あとかたもなく消えていた。
 
「あーあ、もってかれちゃったね」
 とリルは、学校の先生さまが去ったあとに、風の主に言った。
「ま、ああいう人が来たら、しかたがないよ」
「そうよね。けちけちしてたって意味ないし」
「そうそう、そういうことさ」



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